- 宮崎こども将棋教室&宮崎県の将棋界について思うこと
- 私ももう還暦。いままでのことをつづりながら思いを語っていきたいと思います。時折修正しながらいろいろ書き込んでいきますね。トップページに書いた①②③を含めて書いてみます。
宮崎に戻って来て来年(2026)で30年になろうとしています。当時は都成謙三さん(都成竜馬の父上)が子供教室を開いておられ平成8年4月に開講されたようで、その年の8月に私は宮崎に帰ってきました。ご自身の子どもや親せきの子どもたちそしてその通う学校の友達に声をかけ10人くらいから始めたとのこと。私が伺ったときは20人くらいになっていてすでに髙﨑一生くんは入っていました。
関東奨励会時代は記録を取ったり塾生になってそれこそプロ将棋にどっぷりつかってその他の日は研究会を主宰したり友人の研究会に参加したりと宮崎からの通う奨励会員と違って友人知人も増え宮崎に連れて来たりして親睦をより深め今に繋がっています。そんな奨励会員いまだに宮崎にはいないようだが友だちぐらい宮崎に連れて来い。(笑)
私の場合関西で奨励会員試験を受け合格し棋士になっている同期は井上慶太、藤原直哉、長沼洋さんでしょうか。現在宮崎県に戻っている元奨励会員寺原くんは井上門下、久保田くんは藤原門下として受け入れてくれて入会しています。寺原、久保田両名は宮崎県将棋界において活躍し県代表になって全国大会で交流を深めています。そのくらい奨励会経験者は強く宮崎県将棋界の棋力(レベル)アップにもなり貴重な人材なのです。いまだに彼らに勝てる人は少なく奨励会を経験することは普通に勉強している人とは何かが違うという証明でしょう。宮崎県の将棋界はそのありがたさをわかっていないようです。全く敬意というものを感じられない。私にとってはプロを目指し情熱を傾けてきた可愛い教え子でもあり奨励会を辞めても将棋を指し続け大会に参加してくれているだけでもうれしいことなのですが。
関西奨励会入会後関東に所属する師匠の意向で関東奨励会に移籍することになり森下さんと出会います。その後、羽生、佐藤(康)、森内、郷田さんというビッグネームたちがぞくぞくと入会してきます。悲運なのか幸運なのか。
悲運なのか幸運なのかといいましたが、当時彼らは後輩ですので私としても負ける気がしなかったものです。トッププロの記録係をして間近にその将棋を見てきた先輩の私からすると彼らの序盤は粗く研究手順ですぐに優勢にできました。しかし粘り方と狙いを持った指し回し、そして大局観に見る才能を感じつつ逆転負けをよくしたものです。それは今思うといい経験となっています。先輩から最新の序盤研究をの知識を得た上に勝ち星まで拾えるのだから上達の進歩と昇級が加速していきました。レジェンドたちに負け勘定したとして他の奨励会員には全部勝たなければ昇級できない状況は今思えばとても厳しく「あのまま関西でがんばってれば棋士になれたんちゃうか」と藤原くんに慰められたものです。このように東西に知り合いがいるということも私の強みでしょうか。
レジェンドたちの少年期を知ってその考え方、言動、立ち居振る舞いは指導において役に立っています。このあたりの考え方を修正すればとか、言動や振る舞いにおいては考え方からにじみ出てくるので大物に近づけるにはどうしたらいいか、あるいはすでに備え持っているものに気づき伸ばしていくためのこちら側の気を付けなければいけないことなどがあるのです。
以前宮崎において名人戦が行われました。羽生名人に挑戦するは森内九段。会場はシーガイアコンベンションセンター。対局室、前夜祭、大盤解説会場いずれも最上レベルの施設で行われました。ホテル最上階レストランを開放し対局できる贅沢な将棋サロンの場を提供していただき打ち上げをしたときのこと。両対局者が近づいてきて「ご無沙汰してます」と挨拶に来てくれました。運営スタッフ方々の驚きの中「奨励会の時の先輩です」と紹介してくれその気遣いに大人物たる振る舞いに感激しました。さりげなくそういうことができる器、将棋の強さだけではないということですね。
「指導の秘訣は?」LPSAの中倉姉妹のYouTubeに取り上げていただいたときに答えられなかった。当教室のPRにと教え子の下田郁さんの配慮に申し訳なく思いあれから数か月自分なりの分析をしてみたがひとりひとりに子どもたちそれぞれに合った指導を心がけていることしか思いつきませんでした。しかしやっぱり何か一言で言える私ならではの秘訣を表さなければならないと思っていました。
生前の英文学者柳瀬尚紀先生とご縁があり成城大学の助教授をされていたころです。先生はルイス・キャロル「不思議の国のアリス」の翻訳で有名。近年ではロアルド・ダール作品シリーズで映画にもなった「チョコレート工場の秘密」があります。また「翔」を使って「とんだ」と読むように翻訳され「翔んでる女」は流行語になったほどです。翻訳不可能と言われた「フィネガンズ・ウェイク」を翻訳するなど詳しくは著名な方なのでWikipedia等をご参照ください。将棋をこよなく愛されていて観戦記もよく書かれていました。フランスの劇作家のフェルナンド・アラバルさん(この方も有名な方ですWikipedia等でご参照ください)が将棋を指せるということで南青山にあるうナックサロンにて同席、対局しました。ハンディキャップとして私は目隠しで指し手を読み上げ柳瀬先生が私の代わりに指すというものでした。見た目には柳瀬先生とフェルナンドさんが対局しているような格好です。ちょっとしたイベントですね。会場には寺山修司氏の奥様でもあった女優の九條今日子さんにもお会いでき、今思えば贅沢な時間を過ごさせていただきました。奨励会を辞めた後も幾度かご自宅に招いていただいて奥様の手料理をいただき将棋を指したのも良い思い出となっています。
ついつい思い出が蘇り長々と綴ってしまいましたがその柳瀬先生の著書「カンが読みを越える」米長勝負論講義の初版本のはじめに私のことを書いていただきました。局面を「美しい」感じる感覚が柳瀬先生には新鮮に映ったのでしょう。確かに形の良い悪いという表現はくよされていたが「美しい」とか「きれい」とか言いう人があまりいなかったのかもしれません。その後羽生さんの何かの記事で読み切れない局面において迷ったときは形の「きれい」な方を選ぶというのを見てうれしく思ったものでした。ただし「美しい」と思う感性は同じ局面を見ていても人によって違うものです。私の実績を顧みて私の基準は正しかったと自信を持って指導にあたっています。
形の「美しさ」「きれい」が私の指導の秘訣と一言でいえるものをようやく見つけました。それは教え子たちが私の教室を離れて県外に出ても活躍できていることで証明されているのではないかと思います。これも最近教え子の感想戦に参加した井戸崎傑くんが「こんな手はダサって先生に怒られるから言えなかったけど・・・。」というふだん何気ない会話からこの結論にたどり着けました。ありがとう。
- 「将棋ってたのしい!」という将棋愛の話
- 将棋を通してたくさんの知り合いを作り、教え子たちも成長してお酒をたしなむほどに。
- 充実した将棋活動、毎日「たのしい~!」と幸せを感じながら過ごしています。
今年の夏は教え子がたのもしくなってまさに将棋活動人生に花を添えるどころらか花束を・・・いえいえ花で埋もれて息苦しいくらい(笑)
◎清水慎くん三月のライオン杯中国大会において第3位!(入賞者で彼以外は全員中学生)
◎清水慎くんイオンモール杯争奪こども将棋王決定戦九州・沖縄ブロック代表決定戦準優勝!(おしいっ)
◎浴衣で将棋、女子大会大盛況!(宮大将棋部の大活躍)
◎鍛錬会、深浦康市九段と弟子の天野くん、市岡くん参加!
◎文部科学大臣杯中学生の部、わが母校の宮大付属中学校が全国3位入賞!
◎都成竜馬くん、髙﨑一生くんの帰省!◎清水将馬くん、此本蓮士朗くんの奨励会合格!
◎現役奨励会、吉瀬蓮くんの帰省、訪問!◎松元一織くんの帰省&世界進出大計画!
◎井戸崎慎くん全学連のボスになって帰省、そして有言実行、宮崎ブーゲンビリア空港の大会で優勝し飛行機で帰る!(かっこよすぎたろ~!!)大園くんも15年ぶりの大会参加で入賞はすごいね。
◎島井康行くん北海道中央支部で副支部長で活躍!イベントや派遣で来るプロ棋士の7,8割が星子先生を知っていましたよとうれしいこと言ってくれました。初対面でも会話がほぐれるそうです。将棋を教えててよかったと思う瞬間!
◎岡林佑樹くん東京で下北沢名人戦、棋童戦等いろいろイベントのお手伝いをしています。将棋やってるのがうれしい。
◎黒木航太くん名人戦徳島県代表に!
◎上原亮くん名人戦大阪代表に!そして大阪で将棋を教えています。うれしい。
◎松元一織くん全国将棋道場巡り開始!新潟と大分を除いて全国行脚できました。コロナ禍のなか訪問先の皆様には感謝感謝です。いおりくんの将棋愛が本当にうれしい。下記のURLからYouTube、インスタ、ポッドキャスト、Twitterにアクセスして応援してくださいね
https://iorishogi.hatenablog.com
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